結局

2006年8月16日 日常
昨日の一件のせいで昨日から食欲なくなりました。見事に体調に
来ました。

昨日の日記を書き終えた後もまだ延々言い争いをし、それを兄が
仲裁というわけではないが、お互い何が言いたいのかを冷静に分析して
それを両親それぞれに伝えようとしていたが。結局ぬかに釘。

母は感情ばかりとばしすぎた挙句そのまま家をでて、仲のいい知り合いの
家に逃げていった(様なもの)。
父はそのまま寝床。

私はもう家になんか居られなくなってしまった、というか
もうこれ以上居たくないという感情がまた再発してしまったので
お盆だから深夜過ぎまでやってるパチ屋でタバコ吸っていた。
そうでもしないと頭のなかから忘れられそうにも無い状態。
これじゃ入院する以前となんら変わりは無い。
その後は薬も飲まなければならないから帰らざるを得なく、仕方なしに
家に帰宅したが。

起きたのは昼過ぎ、母は既に家に戻っていた。
ところが昨晩私に掛けた酷い言葉に対して何も思っていないのか。
一言も私に対して言葉を発しなかった。

いや、なんというか
ものの発端は私が夕食を食べに居間に向かい、水を汲もうと思い
台所に向かった時、母が味噌(キュウリにつけて食べる為の)
をいためていたので、何気なく
”あ、味噌つくってるんだ?”と単に聞いただけ。
そしたら母は
”テーブルに出てる味噌じゃ足りないでしょ!”
とさも何かにやつ当たるような感じで私を非難するがごとくどなりつけて
来たのだ。
当然いきなり怒鳴られた私はショックで私の気分は最低調。
あとの展開は昨日の日記の通りです。

もうほんっとう止めて欲しい。
まだまだ私の症状が治ったわけではないし、こういう症状は何年もかけて
良い方向に行くようなものでしょう?
なのに解ってないのか、家族の人間はみな自分の事しか考えていないのか。
これならまだ東京にいた時の方がはるかにましである。
いい加減にしてくれと。

まっとうなコミュニケーションも取れないで
”自分の気持ちを察することの出来ない人が云々”とかほざくな。馬鹿が。
そりゃ確かに祖父の病状が悪化して精神的に来るものはあるのは
解っちゃ居るけどさ、だからってその気持ちをちゃんと周りにださないで
どうするのさ。

という具合に夕食作ってる最中に母がヒステリックになった。
父も父で売り言葉に買い言葉、暴言吐きまくりで最悪。
両親ともども俺のいう事なんざ聞きゃしない。



そしてそれを俺の前でやるな。

なんで俺の病状が実家に帰ってきてから悪化して
手首切りのスロットに依存しのと悪い方向に逃げざるを得なかったか
まったく理解できてないじゃないか。

これが続くならこれ以上実家になんかいたくねえよ。

また夢を見た。

2006年8月9日 日常
大学で部活をしていた時に付き合っていた人から携帯にメールが
入ってきたという夢を見てしまった。
まぁなんという事も無い夢なのだが、未だにその人がらみの夢を
たまに見ることがあり、加えて見てしまった後は目が覚めてしまう。

…確かに中学高校と男子校に通っていたせいもあるので
言ってしまえば一番の大恋愛をしたのもその時期ではあるし、
小学校時代の淡い恋心を持っていた時なんかはそういった意味では
夢にも出ない訳だろう。

やはりこれは未だに心の中にどこかひっかかる…という表現は
変なのかもしれないが、どこかに心の中から消え去ることの出来ない
体験、経験だからこそなのかもしれない。

以前はその夢を見るとうなされて仕方が無かったが、今はそうでもない
所を見ると精神的には安定しているのだろうか?
でも結局の所一番解ってないのは自分自身なのかもしれないが…。

取り合えず、色々あったので見たい部類の夢ではないのは確かなのだが。

あと久しぶりですが秘密日記あります。

暑い

2006年8月7日 日常
この所暑さのせいで夜中に寝付けない状態です。
睡眠薬を飲んでいても暑いせいか寝苦しく、結局寝れないまま
今日記を書いている所です。

ここ最近としては叔父の会社のアルバイトを黙々とこなしている
程度な物で、後はゴルフとヨガ位に通ってる程度でしょうか。

ただこうも暑くて寝苦しいとサーカディアンリズムも狂ってしまい
日常生活に支障がでないかが心配です。

とりあえずは昨日昼寝も出来たので、今日はこのまま起きて
アルバイトに行こうかと思っています。体力的にはあまり
宜しくないのは承知してますが…

8月1日の日記

2006年8月1日 日常
状態はそこそこ安定し、体調は夏ばて気味だが体の痺れも少しは治まってきた。

退院してからずっと心の中にしこりの様にまとわりついている感覚が
ある。
上手く言葉では言い表せられないのが口惜しいのだが、妙な感覚がある。
〜でいなければならない
〜しなければならない
こうした思いが重く圧し掛かる。

現状で解りやすい例を挙げるとすればこうであろうか。
私はギャンブル依存症だった。だからパチスロ屋などの場所には
行ってはならない。
ごくシンプルな事。

ただ、具体的ではなくもっと漠然とした思いなのだろうか。

私は他人からも必要とされる人間に”ならなければならない”
私は必要とされる人間で”いなければならない”
私は私自身を否定しては”いけない”
私は私自身を肯定して”あげなければならない”
私は周りに心配、迷惑を”かけてはならない”

一種強迫観念的な思いがずっと残り、今でも膨らみつづけている。

苦しい。
しかし体調は良いし薬のお陰で精神的には安定はしている。

もしかすると自分の中に枷を掛けて、自身のモチベーションを維持
しているのだとすれば、今だ病状はよくはなっていないのかもしれない。
いや、枷、というよりも寧ろ、自分自身を客観視した時に
自分自身を偶像化、つまり
”こうしていれば周りにも迷惑を掛けない、自分にも良い事だ。”
という理想像を無理やり作り出してしまったのかもしれない。
それが心の中にあるしこりとなって出てきてしまったのではないだろうか
と実感してしまった。

そのせいかこの日記を書くまでもふと虚無感が襲ってきてしまった。

以前の様に死にたい、消えてしまいたい、といった自己否定から来る
自殺願望は無いのだが、逆に…

自分はこのままの状態が自身にとって本当に良いのだろうか?
そういった懸念を抱いてしまっている状態だ。

もしかすると退院もまだ早すぎたのではなかったのではとさえ
思ってしまっている自分がいる。

CRTモニター

2006年7月29日 日常
今度はCRTモニターを購入しました。
DOSパラの通販だったので多少手数料が掛かりましたが¥20000以内で
購入できたので満足といったところでしょうか。

今まで使っていたDualViewのセカンダリディスプレイが画面に電源を
入れるとものの数分でノイズが走ってしまうので実用に耐えれなかった
ために買い替えに踏み切った次第なのです。

とはいえ、先日のグラフィックボードといい今回といい、今度は
ギャンブル依存じゃなくて買い物依存になりそうで怖いです。
勿論冗談ですけどね〜

グラボ

2006年7月26日 日常
臨時収入が入ったのでグラフィックボードを買い換えました。

これで暫くは画像処理に不満も無く過ごせそうなのと、来月に発売予定の
PSUにも対応できる、かなと思います。
¥20000の買い物でしたがベンチマークもそこそこなのでまぁ満足と
言った所でしょうか。ちなみに購入したのはGeForce6600GT。

ただ相性が良くないのかダウンロードし直したネットゲームの影響なのか
ドライブの片方を展開するとフリーズしてしまう状態になっているのが
悩みの種、現在日記を書きながらエラーチェックしている所です。

寝る前には終わるといいなぁ…

7月24日の日記

2006年7月24日 日常
あ〜…

病院から追い出され(退院)ました。

まさか外泊中、しかも昼寝していた時に連絡が来て退院OKといわれるとは
思ってもおらず、まさに寝耳に水とはこの様な事なのでしょうか。

とはいえ退院出来たのは嬉しいことですが、今週の金曜に診察の予約も
入っており、水曜にはギャンブル依存症の会があるので
そういったものにも通わなければならない点ではまだまだ先は長そうです。

ギャンブル依存症の会といっても、元々過剰にギャンブルに嵌り出したのは
実家に戻って自殺願望が異常に高まっていたのを忘却する形で
嵌っていた様なものだったので、ギャンブル(スロット)そのものには
楽しさ自体はあまり見出せていない形の依存だからにんともかんともです。
しかし嵌っていた以上は依存症なのでしょうし、通うようにしたいなとは
思っております。


とはいえ、今まで病院で生活していた緊張感が解け、一気に疲れが
出てきたので、今週いっぱいまでは心身ともに休息させようかと
思っています。

今週も

2006年7月23日 日常
二週に渡って(先週は法事でしたが)外泊許可が下りました。
どうやら退院も近い…らしいです。

というか二週も渡って期間を置かずに外泊させてもいいのかなぁとか
思っていたりします。
先日母が主治医の先生と私とで面談をしたところ
回復が早いという事と、それに伴い薬の量も減らす方向になったので
もうそろそろいいんじゃないかという話もあるようで。

あとは今回の外泊で私の状態をみた両親の判断如何によっては
すぐ退院できるらしい、です。

念の為ですがあまりあせらずいこうかと思っております。

実は

2006年7月15日 日常
え〜…

今精神科(閉鎖病棟ですが)に入院しております。

6月29日に精神科に行き、即入院になりました。
日記がまったく書けなかったのはその為です。

長くだらだらと書くのも面倒くさいので(笑)簡潔に書いてしまおう
かと思います。

自宅から車で5分の所にある札幌太田病院という所で、Wikipediaにも
掲載されている内観療法というのをやらされました。
詳しいことはGoogleか何かで検索してみて下さい。
で、今はほぼ自殺願望もスロット依存も消えている状態です。
余談ですが入院中に読売新聞社から取材を受けました。リスカやいじめの
経験談を話してくれと。
あとは札幌教育文化会館で公演があるのですがその太田病院の
理事長から公演で体験談を話をしてくれないかと言われてます。が
それは断ろうかと思っております。

今処方されている薬の関係からまだもう少し入院の必要がありますが
早い退院を目指して日々過ごしています。

今日こうして日記を書けているのは、祖父の一周忌に参加していたので
外泊届を出して自宅に戻っている為です。
なので恐らく次に日記を更新出来るのは退院した時か、運良く
自宅に一時外出出来る時位でしょうか。

とはいっても主治医の先生からは回復が実に良い方向に向かっていると
仰って下さったので、そう長い間の入院にはならなそうだと思います。

日記を読んでくださっている方々には心配をおかけしてしまったと
思いますが、元気になって戻ってくるので見守っていてくださいませ。

名前

2006年6月18日 エッセイ
ここで表記している名前のBはBasilのB。
料理などで使われるけれども別にあればあったで良いけど
無くても別に構わないもの。

そんな私も無くても別に構わない、
日に当たる事は決してない、
だから私はBasil。

居ても居なくても構わないコ。

手首に包帯

2006年6月18日 日常
これまでにあった事を書いておきます。

母の通院している脳外科の先生からの紹介でメンタルクリニックが
見つかり、処方箋も変えてもらいました。
二種類出された睡眠薬の内片方があまりにも効果が効き過ぎる為
後日連絡して服用するかどうかの相談をする事になりました。

リストカットしていた傷口を縫合しに行きました。
診察されて即「縫合」と言われ、そのまま処置に。
寧ろ縫合してもらった後の方が傷口が痛むのは仕様でしょうか。

月曜から叔父の会社でアルバイトをすることになりました。
とは言ってもある程度自由な時間でしても良い、それと
私の精神的な復帰の後押しの為でもあるとの事なので
アルバイトをする事に賛成してみた運びです。


正直な所、状態が何も変わっていない気分でいるのがあまりにも
耐えられなくなっている状態です。
父の理解の無さや母の過剰な反応、兄と弟の無神経さ、
そう家族を捕らえてしまっている私自身の感情。
それに加え自分のしている事の情けなさ。
まともじゃない、という自覚があるだけまだまともな状態なのかも
しれません。けど何もしなくとも一日過ごすだけでも精一杯なのが
現状で、自分の状態が良いのか悪いのかを判断するのもまだまだ
先の話なのだろうと思います。
もっと言えば、先の見えない不安さや、自分の焦燥感や自殺願望を
抑制するだけでも現状では限界なのではないかと思っています。

6月13日の日記

2006年6月13日 日常
もう嫌だ。
ハルシオンも大量に飲んだ。
手首も切った。

もうどうでもいいや。
え〜、近況報告という訳でも無いのですが一応何か書こうかと思います。

ここニ三ヶ月の間で…太りました。

自己紹介に書いてある体重52kgから一気に約70kgまで増えました。
身長から考えれば妥当な体重なのでしょうがあからさまに
お腹が出てる!ズボンがきつい!
きっと毎晩のように缶ビールを3本平気で飲んでいるのが理由でも
あると思いますが…

やせなければ、と思い先日からビールを控え食事の量も減らしています。

ああ恥ずかしい…

それはそうと、札幌でのメンタルクリニックが見つかりました。
母が通院している脳外科の先生からの紹介で、そこはデイケアも
実施している所で、クリニックの先生も印象としては良く、
話の方もじっくりと伺ってくれる先生でした。
この先デイケアをするかどうかなどの方針は色々出てくるとは思うのですが
あせらないでゆっくりいきたいと思っています。

5月26日の日記

2006年5月26日 日常
実家に戻ってきてからはや10日。
クリニックの方を父親の伝で知り合いの医師から色々と聞いてくれている
ようなのだが、いっこうにあったクリニックが見つからない状態である。

実家に戻ったといえどなんと誘惑の多いことか…
徒歩10分以内の場所にパチスロ屋が7店舗もあるのはどう考えても
おかしい話だ。
TVCMも店舗のCMは多く、というか東京に居た頃は店舗CMなど
一度も見た記憶は無い。

実家に居るほうが余計苦しい様な気がしてきた、大丈夫なのだろうか
このままで…

5月9日の日記

2006年5月9日 日常
時間は四年前、場所は部室
誰かが俺のことを要らないと言った。
衝動的に俺は階段から飛び降りる、背中を打ち付ける痛みに息を詰まらせた。

場所は引っ越す前の神奈川にあった部屋の中。
鳴り止まない携帯電話の着信音。電源を切る。
鳴り止まない部屋電の着信音。モジュラーケーブルを引き抜く。
玄関から外を見る。親しかった部員が部屋の前に居た。

もう俺に関わらないでくれ、と叫ぶ。
俺は誰にも必要とされないのにこれ以上関わらないでくれ。
そう思いながら部屋に戻る俺。ベッドの中で嗚咽と恐怖にかられる。





そこで目が覚めた。

着ていたTシャツは汗がにじみ、夢の嫌悪感から吐き気が止まらない。
いや、この状況を楽しんで悲観的になっている自分を楽しんでいる
だけに過ぎないのか。解らない。

5月4日の日記

2006年5月4日
引越しの算段が整った、あとは不動産会社に退去の連絡をいれ、
部屋にある荷物を片付けるだけで済みそうだ。
しかし散らかったゴミの山な部屋を掃除するのに業者の来る
15日までに間に合うだろうか、それだけが心配ではある。

とはいうものの、考えてみれば東京に来てからもう七年も経っている
のかと思うと日の進むのが早いと痛感させられてしまう。
私が大学入学が決まった時にはまだ弟は小学生だったのだし、
そう考えれば年月の経つのが早く感じてしまうのも納得である。

ところで、引っ越してからもこの日記は継続していけるのだろうか?
入院先を探している間は実家から書き綴ることにはなるだろうが
いざ入院してしまってからのことを考えるといかんともしがたい所
ではある。

入院しててもネット環境のある場所…なぞ求めるのは贅沢なものだろうか。何れにせよ調べなければ何も始まらないのでその時考えることに
しようと思う。

それまではもう何を書いているのか解らなくなってきた日記ではありますが
読んでくださっている方々(あしあと機能でどなたが着てくださっているのかは解るので)、こんな日記で良ければ読んでやってください。

5月3日の日記

2006年5月3日
五月中に引越しすることが決まった。
明日にも引越業者が見積もりに来る予定になっている。

帰るときはあっさりと突然に訪れるものなのだと感じてしまう。

それよりも問題なのは実家の札幌に入院できるようなクリニックなどが
あるかどうかだろう。
それは追々探すにしろ、なければないで困惑してしまうのだが…

5月1日の日記

2006年5月1日
昨晩実家から来た両親と食事をし、話をした。
結論として大学を辞め、実家に戻り病院なりの施設に入り
治療をしていくという方向になった。

自分で調べたところ私はアダルトチルドレンらしい。

4月29日の日記

2006年4月29日
リストカットして出血した血に染まったテッシュペーパーが
パソコンデスクの上で山のように転がっている。

リスカした所で死ぬことも無いし、自分の自殺願望が満たされるわけでも
ないのだが止めることが出来ない愚かさ。

今日も左手首は血でぐちゃぐちゃだ。

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B

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