年の最後まで

2004年12月31日 日常
もうだめかもわからんね、と思わず心の中で言うほか無い状況なのは
必然なのだろうか。いや、まだ高校に通っている弟にはある意味
悲惨な物かもしれないのだろう、卒業し実家から離れるまでは恐らく
続けられるであろう家庭内部のいざこざも目の当たりするだけでも
精神的に来るものもあるし、ましてや祖父母の事もある。

年の瀬でこの日記を書いている日で今年も最後であるにも関わらず、
本当にどうでもいい事でまた母は…

いややめておこう、これ以上書いても何か状況が好転するでも無し。
本当は色々書こうとは思うがそれに至る前に踏みとどまらせる感情が
あるので自粛…

あとは父方の親戚一同で新年の集まりを終えれば後は大学の講義も
始まるので、すぐにでも東京へ戻るだけだ。


ただ一言だけ言うなれば
皆の前では私自身今の状況に対して平静を保っている様にはしている。
だが正直な所、厳しい。

明日は

2004年12月30日 日常
親戚の通夜は滞りなく終わり、明日は火葬場に出棺。
早朝からなので起きられるかどうかが不安といった所か。

勝手にやってくれ

2004年12月29日 日常
帰省してまず実家の様子に対して思った言葉がこれ。

23日に札幌についてから暫く用事予定が詰り、PCに触るどころでは
無かったのだが、ようやく一息つけた…と思えばまた色々起こってしまう。
顔を見せるだけに帰ってきたはずだろう事が帰った途端にどうでもいい
様な用事に振り回される。
だが私はまだいい。兄は冬道の運転が下手に上手いだけにここぞとばかりに
雑用を押し付けられているのは、傍から見ても大変そうだ…

日記の書く間隔が開いてしまったので、簡単に帰省してからの事でも。

23日帰省当日は、友人と兄の三人で同じ便に乗って帰る事に。
羽田発千歳行のフライトが天候悪化の為、羽田に引き返す可能性も
あるとのアナウンスを聞いたときは少々困ったが、一時間ほど離陸に
遅れが出た以外は問題なく千歳に到着、バスは吹雪で欠便だったので
久々にJRで帰る。

24日は世間ではクリスマスイブで賑わっていたようだが、家もご多分に
漏れず母が事前に買っておいたケーキを食べるのみ。
実際には一悶着どころか二も三もあったのだが省略。
例えば母方の祖母がいつのまにかケーキを注文していてそれも
食べることになった、とか
父親は世間がクリスマスイブだというのも知ってか知らずか
年齢のまだ若い先生を夜遅くまで連れまわした挙句、母親には連絡の
何一つも入れなかった、とか
それらが原因でまた母親が癇癪を起こした、とか

翌25日はようやく休めたのでひたすら家でのんびり過ごすのみ

26日は友人が…だったので、その報告を聞きその足で早朝までカラオケに
27日はカラオケ明けの死に体のまま早朝に頼まれてた用事を済ませ
就寝、夕方過ぎに起床する生活リズム総崩れの状態に

28日の本日は母親の誕生日、なにやら外食がしたいとかなんとか
言っていたのだが、その事に(理由なんざ知ったことではない、寧ろ
いつもの事過ぎて予想の範囲)なにやら父母が悶着起こし母親号泣、
父親はファミレスに逃避。
入院していた遠縁の親戚(父方)の様態が危ういと連絡が入ったので
そんな状態のまま兄の運転で入院先に、向かう途中に亡くなったとの
連絡が。
叔父の入院先に着き親戚に挨拶を済ませた後、その足で両親を叔父の家に
送り届け、ようやく遅めの夕食に在りつけはしたが…
出かける前に起こした母親の癇癪にストレスを感じてしまったのか、
祖父(母方、少々痴呆が進行している)が夜に癇癪を起こしていたと
家に帰ってから祖母に聞かされた。

ようやく皆が寝付いたので、一息つきつつ家の状況に呆れつつ日記を
書いている状態だ。

あまり詳しく書いても自分の家の情けない情事を読んだ所で面白くも
なんともないだろうし、寧ろ書いていて私が疲れてしまうので詳しくは
書かないことにします。

ただ年々増して思う事がより強くなってしまう。
父が社会的地位がある職についていようが、その妻だろうが、
私の知ったことではない。
私にしてみれば二人とも人間的にレベルが低いんじゃないのか?
再三再四と、息子、しかもそっちの人生半分も生きてないような小童に
説得されて納得して、その忠告助言も聞いたような振りして何も変わらない
彼らは、言葉は悪いのは承知の上で言わせて貰えば…

二人共愚か者だ。

しまった…

2004年12月20日 日常
普段使用しているネット回線が何故か繋がらなくなってしまったので、
急遽部屋備え付けにしてある(正確には入居時に契約したオートロックと
インターフォンが連動している電話回線)方でネットに繋げるという
急場を凌いでる状態です。

何故か部屋のブレーカーが落ちてしまったので復旧させたところ
ネットな繋がらなくなった、という流れに。
プロバイダーから送付されたモデムに異常が出たのか、単に
電話料金払い忘れで実は止められてたとかだろうか…
(後者だと実に誉められた原因ではないですね、でも一人暮らしの
学生だと偶にやってしまう…)
いずれにせよ23日には帰省するので、それまでには復旧させておかなければ。
あまり誉められたものでは無いのだが、苛立ちが色々とあった為
夕食も取らず夜7時ほどで寝床についてしまった。

基本的に講義の間時間があるときは大学の図書館に篭って本を読むか
PC教室で時間を潰すかしているのだが、今日は以前に調べておいた
飛行機のフライトの再確認と、他航空会社のフライト料金等を見比べて
いた。
昼休みから3時限と時間があるので他にニュースサイトで新聞でもと
思ってが、あまりの周りの喧しさに呆れて早々に教室を後にした。
図書館のように静粛であるのが常である場所ではないのだが、
雑談とも(馬鹿話とも)つかない様な会話を延々耳に入ってくると
私自身が狭量なのだろう、ひどく苛立ちを感じずにいられなくなる。

仕方がないので校舎を後にし、表で煙草を吹かして時間を潰すと言う
不健康な時間の殺し方をする事に。

そしてその次、その後受講する講義の時間が来たので移動、何事もなく
講義開始。
基本的に講義中もまわりで雑談云々されるのを私は実に嫌うので
なるべく耳にしないだろう場所、例えば講堂の最前列かそれに近い
位置で講義を受けてるのだが、友人連れの女性集団が前の座席に
座り始め、当然のごとく嫌な予感はする訳だ。

彼女達は友人とのお喋りに夢中になるあまり、講義での配布物を
こちらに渡さないという事をやってのけてくれる。
先ほどPC教室で苛立ちを感じていた事をさらに膨らませてくれるが如く
と思わずにいられず…
私も子供ではないので、心に留めて彼女達を咎める事はせず。
おもむろに他へ回った配布物を受け取りにいった。

だがしかし、講義終了まで苛立ちが収まるわけでもなく
悶々と講義が進むだけで精神的によろしく無かった。

これだから単なるお喋り仲間なぞという関わり合いは嫌いなのだ。
いや、お喋り自体を完全に否定しようとは思わないし、寧ろ
そういったやり取りがあるのは人間的に当たり前の事で健全な事だ。
私の感じた苛立ちも、狭量なだけで、かつ自身に相容れない存在に
対して感じる実にくだらない拒絶に他ならないのは自覚している。

これだけ自分の鬱憤を表に出しても何も実りも無いので、少々
話の具体例を変えておいてはぐらかしてみよう…

PSOBBでの話を引き合いに出すのは可笑しいのは承知の上で。
現在Closedβテストを実施しているのも相まって、稼動サーバー数が
減り、必然的に一箇所に集まるユーザーの人数も増えてしまう。
ご多分に漏れず私が所属しているチームが普段常用しているエリアにも
人が増え始めた頃、一人のチームメンバーが会話で漏らしだした。

”後から来た人達に実に鬱陶しさを感じる。会話は酷く単語の連呼
で文章の後ろには見るに耐えない顔文字や記号ばかりだ。
とてもじゃないが相容れないな”


実際には会話口調で、感情が色々と交じっているのでもう少し
文面も乱雑なのだが、大まかに言えば上の通りだ。
私が大学で感じている鬱陶しさと実に似ているので(例に挙げたチーム
メイトには申し訳ないのだが)、この感情自体はどういった物なのか。

一つは単純に、自分(達)と異質な物や集団は排斥したい、拒絶したい
という類のもの。

もう一つには異質である物や集団を否定、批難等をして、自分達は
そうではない態度や行為を行う事を良しとする。
上の例との比較を出すのであれば、会話は丁寧に成立させる、無意味な
顔文字や記号の連呼はしない、等を実践する事により、
彼らより自分達がまともであると自身に納得させる精神的優位性を
得る行為のもの。

実際は単に会話のパターンが違うだけであり、本質的に優劣があるのか
どうかなんて実にくだらない事であり、そもそもそのような事で
他者を判断するのもおこがましい事この上ないのが事実だ。
ただ、相容れないと主観的に感じることで不愉快さを持つのは
人間として避けられないのだろう、私自身、大学ではその様な事ばかり
で仕方がない。

とはいえ人の印象なぞ外見を見てものの7秒程度で決まってしまうもの
だ、というのは教授の弁。
長々と見苦しい愚痴の日記だったので、この事にはまた別の機会にでも…

kaj 様、日記へのお気に入り登録有難う御座います。
この様な雑記とも取れない内容のものに登録していただいた事に
恐縮に思っております。

30分

2004年12月13日 日常
確かに受講者にとってみれば簡素な内容で講義が終了すれば
気分的にも楽であるし、ましてや昼休み明けの講義だ、昼食も取るだろうし
眠くもなる…
だが金を払って受講しに来ているのだから、教授は90分間完璧に
講義を行えという訳ではないにせよ、せめてある程度開講する義務のような
ものを全うしてくれ…
いくら期末だからといえどたったの30分で終わるのは…

これとは別に

たった30分の講義と言えど受講しに行く以上まずしっかりと睡眠を取って
行かないと体力的にもきついものがあるのだが、昨晩は寝られず
そのまま講義へ。

もう3年も経つにも関わらず慢性的な情緒不安定の様なもの…
理由なくふいに虚脱感や鬱に似た感覚がよく訪れるので
大抵そういった日には寝床についてもまともに寝られない。
その状態のまま講義に行くのはいつもながら億劫であるし
体力的に見ても実に不健康そのものだと自覚はしているのだが、
別段異常、と言うほどでもないだろうし顕著に表立って
異常が見られる事でもない。
それ以前に3年もこの様な状態だったので正直には慣れてしまった。
こんな事に慣れた所で、不健全極まりないのは事実だが…

と、たった30分で講義が終わったなら楽で良かったではないか、と
思わない理由はここにあるのです。

余談、深夜になるとDiaryNote、実に重いですね。
他様の日記で使いにくいとよく見かけた所以が判った気がします

言葉のみでの環境

2004年12月13日 日常
電話越しに物事を助言、説明、指示する行為はいつもながら思う事だが
実に難しい。

昨晩友人から電話が入り、フリーマーケットでスキャナーを購入した
のだが、インストールをしても上手く動作しないのでどうすれば言いかと尋ねてきた。
PC環境から接続状態、インストールに至るまでの手順、結果現状はどういった
具合でスキャナーがPCに認識されているか、等
電話越しの言葉のみで互いに説明のやり取りを交わすのは実に大変な
ものだった。

特に言葉のみという限定された環境においては説明する側も、それを
受ける側も常に客観的な位置で状況を把握していかないと
おおよそ作業が進まないし、私自身切実に思う部分である。

比較して例を挙げると、私には年の離れた弟がいるのだが、
彼も偶にPC関係のトラブルで電話を掛けて来る事がある。
(さらに上にも兄は居るのだが、その兄よりも私の方がPC関係に
詳しいと思っているそうだ)
しかし決まって弟が話す第一声は

”〜したいんだけど上手くいかない、どうすればいい?”

そして私は決まって次のように

”何をどうして、どういう状態になって、結果どうなってるか説明しろ”
と言い返す。

起承転結、序破急ではないが、トラブルの現状を端的に説明出来ないと
相手もどう助言したら判らない訳だ。
PCそれ自体を直接見れば当然トラブルの原因などは判るのだが
ここでいかに言葉のみで状況を伝えるという行為の難しさがわかると思う。

それぞれの人の性格によって言葉のみで物事を伝える方法も三者三様
だろう。
かく言う私も、かなり大雑把な物言いをよくするので、弟の事を
非難してばかりもいけないのだが…
しかしながらこういった限定されたコミュニケーションそれ自体は
性格の差を抜きにしろ訓練や心がけ次第で如何ようにも出来るだろう。
学校で国語や英語をならうがごとく、”伝える事の順序だて”や
”伝えるという行為”は習得次第で身に付けられる。
逆説的に言えば、相手に言葉で伝えると言うことは非常に難しいこと
だ。

結局深夜まで作業をしていたそうだが、結局今日は上手くいかなかった
ので後日またやってみると報告を貰った。
折角購入したスキャナーなので、無事に動かせる事を祈りつつ、
自分の説明不足やPC関係の知識が、やはりごく一般レベルなのを
実感し不甲斐ない思いをしたことを付け足しておく事に。

コミュニケーションの方法を、某大手企業代表取締役カルロスゴーン氏を
例に挙げて記した著書があるのだが、参考として題を挙げようとした
もののその著書が行方不明に…

私的メモ

2004年12月8日 日常
冬季休業は12/23から、飛行機の空席確認と座席予約を済ませておく事
飛行機を使わないと帰れない場所に実家があるので、予約は
最重要課題なのです。

…今空席状況を見てみると、丁度良い時間の便はそこそこ予約
され始めてる…

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B

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