状態はそこそこ安定し、体調は夏ばて気味だが体の痺れも少しは治まってきた。
退院してからずっと心の中にしこりの様にまとわりついている感覚が
ある。
上手く言葉では言い表せられないのが口惜しいのだが、妙な感覚がある。
〜でいなければならない
〜しなければならない
こうした思いが重く圧し掛かる。
現状で解りやすい例を挙げるとすればこうであろうか。
私はギャンブル依存症だった。だからパチスロ屋などの場所には
行ってはならない。
ごくシンプルな事。
ただ、具体的ではなくもっと漠然とした思いなのだろうか。
私は他人からも必要とされる人間に”ならなければならない”
私は必要とされる人間で”いなければならない”
私は私自身を否定しては”いけない”
私は私自身を肯定して”あげなければならない”
私は周りに心配、迷惑を”かけてはならない”
一種強迫観念的な思いがずっと残り、今でも膨らみつづけている。
苦しい。
しかし体調は良いし薬のお陰で精神的には安定はしている。
もしかすると自分の中に枷を掛けて、自身のモチベーションを維持
しているのだとすれば、今だ病状はよくはなっていないのかもしれない。
いや、枷、というよりも寧ろ、自分自身を客観視した時に
自分自身を偶像化、つまり
”こうしていれば周りにも迷惑を掛けない、自分にも良い事だ。”
という理想像を無理やり作り出してしまったのかもしれない。
それが心の中にあるしこりとなって出てきてしまったのではないだろうか
と実感してしまった。
そのせいかこの日記を書くまでもふと虚無感が襲ってきてしまった。
以前の様に死にたい、消えてしまいたい、といった自己否定から来る
自殺願望は無いのだが、逆に…
自分はこのままの状態が自身にとって本当に良いのだろうか?
そういった懸念を抱いてしまっている状態だ。
もしかすると退院もまだ早すぎたのではなかったのではとさえ
思ってしまっている自分がいる。
退院してからずっと心の中にしこりの様にまとわりついている感覚が
ある。
上手く言葉では言い表せられないのが口惜しいのだが、妙な感覚がある。
〜でいなければならない
〜しなければならない
こうした思いが重く圧し掛かる。
現状で解りやすい例を挙げるとすればこうであろうか。
私はギャンブル依存症だった。だからパチスロ屋などの場所には
行ってはならない。
ごくシンプルな事。
ただ、具体的ではなくもっと漠然とした思いなのだろうか。
私は他人からも必要とされる人間に”ならなければならない”
私は必要とされる人間で”いなければならない”
私は私自身を否定しては”いけない”
私は私自身を肯定して”あげなければならない”
私は周りに心配、迷惑を”かけてはならない”
一種強迫観念的な思いがずっと残り、今でも膨らみつづけている。
苦しい。
しかし体調は良いし薬のお陰で精神的には安定はしている。
もしかすると自分の中に枷を掛けて、自身のモチベーションを維持
しているのだとすれば、今だ病状はよくはなっていないのかもしれない。
いや、枷、というよりも寧ろ、自分自身を客観視した時に
自分自身を偶像化、つまり
”こうしていれば周りにも迷惑を掛けない、自分にも良い事だ。”
という理想像を無理やり作り出してしまったのかもしれない。
それが心の中にあるしこりとなって出てきてしまったのではないだろうか
と実感してしまった。
そのせいかこの日記を書くまでもふと虚無感が襲ってきてしまった。
以前の様に死にたい、消えてしまいたい、といった自己否定から来る
自殺願望は無いのだが、逆に…
自分はこのままの状態が自身にとって本当に良いのだろうか?
そういった懸念を抱いてしまっている状態だ。
もしかすると退院もまだ早すぎたのではなかったのではとさえ
思ってしまっている自分がいる。
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