壁に話し掛けるが如く
2005年3月2日 日常疲れた。
月曜にようやく我が部屋に戻ってこれた。
本来ならば歯の治療が済み次第戻ってこれる筈だった。
父との相談は結果としてはある意味無意味だったとしかいえない。
資格取得に際し思い立った経緯やその後どの様に勉強するか等、
また具体的に現状を説明する為の資料や受験資格の事など自分で用意
出来るだけの用意はしていったのだが…
退学も選択肢に入れてる旨も話したところ完全に否定された。
勿論私自身極端な選択肢であるのは承知の上であるし、結果それを
選ぶという事もあるが完全にそうだと決めたわけでもないのだが、
様は退学するだのなんだのと言うのが気に食わないのだろう、
言った途端に父から発せられた言葉は
”ふざけるな”と。
勿論ただ単に退学したいが為の下準備でもないし、ましてや
父本人も私が以前に休学をせざるを得なくなった状況を目の当たりに
していたのにも関わらず、さらにその件も改めて伝えたはずなのだが。
最初に相談を持ちかけた日は結局、父は父なりに考えておくとの返答
だった。当然私は2.3日、長くても歯の治療が終わる頃には何かしら
返答してくれるだろうと高をくくってはいた。
ところがものの見事に私から資格試験の事に関しては何か考えてくれた
のか、と問うた所何も考えていなかった。
考えてなかった、というのは少々違うのだが、父としての要望だとか
具体的な方針だとか、というものが一切無かった、と言えば妥当だろう。
いつもの事だと言えばそうだがある意味岐路に立たんとする事に対して
あまりにも真剣じゃ無いのは如何なものだろうか。
結局返答が貰えたのは東京に戻る前日の夜遅く、戻る為の準備もしなければ
ならない筈の夜だったのだがあえて私は返答を待つ様に居間にいた。
その日に帰る、と何度も父には念押ししてはいたのだが
何故敢えて帰る準備もせず居間でただ黙して猫とじゃれてるのかが
全く理解(というよりも観察力の問題なんだろうか)しない、しようとしない。
父がたった一言だけ寝る前に私に発した言葉は、簡潔に言うと
”お前で勝手にやれ、金は出す、あとは知らん。”
それだけだった。
月曜にようやく我が部屋に戻ってこれた。
本来ならば歯の治療が済み次第戻ってこれる筈だった。
父との相談は結果としてはある意味無意味だったとしかいえない。
資格取得に際し思い立った経緯やその後どの様に勉強するか等、
また具体的に現状を説明する為の資料や受験資格の事など自分で用意
出来るだけの用意はしていったのだが…
退学も選択肢に入れてる旨も話したところ完全に否定された。
勿論私自身極端な選択肢であるのは承知の上であるし、結果それを
選ぶという事もあるが完全にそうだと決めたわけでもないのだが、
様は退学するだのなんだのと言うのが気に食わないのだろう、
言った途端に父から発せられた言葉は
”ふざけるな”と。
勿論ただ単に退学したいが為の下準備でもないし、ましてや
父本人も私が以前に休学をせざるを得なくなった状況を目の当たりに
していたのにも関わらず、さらにその件も改めて伝えたはずなのだが。
最初に相談を持ちかけた日は結局、父は父なりに考えておくとの返答
だった。当然私は2.3日、長くても歯の治療が終わる頃には何かしら
返答してくれるだろうと高をくくってはいた。
ところがものの見事に私から資格試験の事に関しては何か考えてくれた
のか、と問うた所何も考えていなかった。
考えてなかった、というのは少々違うのだが、父としての要望だとか
具体的な方針だとか、というものが一切無かった、と言えば妥当だろう。
いつもの事だと言えばそうだがある意味岐路に立たんとする事に対して
あまりにも真剣じゃ無いのは如何なものだろうか。
結局返答が貰えたのは東京に戻る前日の夜遅く、戻る為の準備もしなければ
ならない筈の夜だったのだがあえて私は返答を待つ様に居間にいた。
その日に帰る、と何度も父には念押ししてはいたのだが
何故敢えて帰る準備もせず居間でただ黙して猫とじゃれてるのかが
全く理解(というよりも観察力の問題なんだろうか)しない、しようとしない。
父がたった一言だけ寝る前に私に発した言葉は、簡潔に言うと
”お前で勝手にやれ、金は出す、あとは知らん。”
それだけだった。
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